好きなもの語り

あー、ヒマだ!
波のない夏(波乗りのために、長いオフをとっているのです)は退屈でかなわない、ので、ヒマにまかせてツラツラと。
僕はなんだかんだ言って、ここでのやりとりを楽しみにしているのだけど、それは、普段考えないことを考える、いい機会になるから。
たとえば、「ポストモダン」なんて、普通に生きてたら使わない言葉だよねえ?でもここじゃ飛び出したりする。
その、「展開の読めなさ」が非常に面白い。
大好き♪
で。
僕は、マドンナやら、カルチャー・クラブやら、「アニメだいすき(知ってる?)」やら、やすきよ、あぶない刑事などなど、80年代の文物が好き。
なんだけど、この時代がもたらしたある「感性」が、その後の若者の思春期を過ごしにくくした部分はあるんじゃないかなあ、と、ふと思いました(そんなことを考えたのもキッカケは烏蛇くんとのやりとりで「ポストモダン」なんて言葉が出たせいで、自分一人では絶対に!考えつかなかっただろうから、コミュニケーションは面白い&その機会を与えてくれた烏蛇くんに感謝)。
80年代って、俗に「シラケの時代」って言われてて、マジメがダサい、楽しく遊んでるヤツがエラい、みたいな風潮があって。
それ以前の70年代ごろは、若いのがマジメに思い悩むのは当然、というよりむしろ「カッコいい」くらいの風潮があって、若い男が頭デッカチに政治について熱く語って、あるいは悩みを吐露して、それで女のコにモテる、なんちゅう、今からすると信じがたいことがあった。
それが80年代に入ると、「重たい」、「暗い」ってイヤがられるように。
そのときのキィ・ワードが「自意識過剰」で、「自意識」を出してると避けられるようになっちゃった。
それはもう、ホント細かいとこにまで及んで、ファッションとかで流行とは違う「コダワリ」を持ってたりすると、「ダサい!」の一言。
僕は90年代半ばに中学/高校生活を送っているんだけど、そんな80年代的な雰囲気は残ってた、というか、かなり学校生活において、かなり支配的だったように思う。
悩んでても人に言ったら受け入れられない、でも悩んでてツラくて、その内「悩んでること自体がワルイ」みたいに袋小路にはまっていって・・・。
それってスッゴく!シンドイことのように思う。
若いときゃ、悩んで当然だし、人によく思ってもらいたいもんだし、よく思ってもらえなくて悩むし、自分の悩み/苦しみは特別なんだと思いたい。

誰にでもあることなんだけどね!

ま、そういう、あるのが「自然」な悩みを退けられちゃかなわないよなあ。
ただ、それも80年代からのこと。
そのことを知れば、空気に流されちゃう自分の弱さと「自意識」を諦める契機にもなろうし、「社会」がワルイ!と責めるのにも「恋愛資本主義」なんちゅうことをのたまうよりは知識があるように見えると思うのだが、いかがなものか。
以上、ymmtのヒマつぶし放言でした。
付き合わせてゴメン!謝るから石とか投げないで!!
http://d.hatena.ne.jp/crowserpent/20080416