これも現実逃避です

非モテ」に非「非モテ」が絡んでいくのは、基本的には恥ずかしいことだし、また見苦しいことだとも思う。それは大抵の場合、実生活で抱えている欠落や不安から目をそらすための方便だからだ。絡む非「非モテ」がどんなに抗弁しようとも、その事実はゆらがない。
このことを踏まえた上で、僕は非モテに物を言おうと思う。今の僕が抱えているのは、仕事の締め切りで、「非モテ」の諸君らにはとりあえずそれを忘れるためのイケニエになってもらおう、という算段だ。人道にもとるのは承知の上である。

非モテ」が自らを語る弁論の大半は気に入らない。感情的に関係のない人々に悪意の毒ガスを撒き散らす言説は論外であるが(ものすごくイジワルな気持ちのときは楽しめる。彼らのみっともない姿に優越感をくすぐられるもの)、「客観的」に論じようとする姿勢の「非モテ論者」の言説も、読んでいてイラつく。
それらは根本的に「ヌルい」からだ。
本当に鋭い感性や知性は、それを備える当の本人すら切り裂いていく。「非モテ論者」の言説にはそのような有害さは感じられない。ところどころ鋭く閃く個所はあれど、総論は凡庸な自己弁護だ。落胆する。
疎外されたものの立場から、疎外するものを語るのみ、まともな感性や知性の持ち主なら、「疎外されている」と感じる自らに疑いを持つのではないか?素朴に自分の体験を信じる「無邪気さ」が神経を逆撫でする。
僕は言いたい。人から「頭悪い」と言われてイラ立つ気概があるのなら、「頭のよさ」の矛先を自らに向けてもらいたい。自分はなんなのか。

さて、オノレの言ったことを真っ先に自分にあてはめると・・・。こんなことをやっている場合ではないのである。仕事しろ。でも・・・うわーん、現実と向き合いたくないよー!!