晴れ!

母からのモーニング・コールで起こされる。最悪の目覚め。あの女、30分おきに電話かけてきやがった。
窓の外が眩しい。なんだかしばらくぶりな気がする。出かけたくなってファミレスへ朝食を食べにいった。
休日の午前だというのに車が多くて、いつもより時間がかかった。きっと久々の太陽にみんな喜んでいるのだろう。ファミレスは人が多かった。人のざわめきが心地いい。
自分とはまったく関係ない、自分の意思ではどうしようもないそれらの有機的な物音を、世界の調べのように感じる。聞いていてとても楽しい。
以前はそれらの「音」が疎ましくてしょうがなかった。たとえば休み時間の教室。楽しそうにしている連中に殺意をおぼえた。自分がこれほどまでに苦しいのに、世界はそんな僕を微塵も気にかけずに「空は明日を始めてしまう(椎名林檎『同じ夜』)」のが、どうしても耐えられなかった。
それは今思うと母に対する憎悪だったのだと思う。彼女は僕が何をしていても心を動かさない。僕が喜ぼうとも悲しもうとも、彼女は変わらずに僕や家族のドレイであり続ける。そのコミュニケーションの実りのなさが、僕をヒドく傷つけた。僕が何を考えていようと何を感じていようと、変わらずに止まらない人々のたてる「音」に母を見出したのだろう。
今はそうではない。
当たり前の話だが、世界は我が家よりはるかに大きい。ちっぽけな我が家の事情で世界をとらえたのでは世界に対して失礼だ。世界は大きい。
メニュウを持ってきてくれた給仕のお姉さんと目があった。ニッコリと微笑むとお姉さんも笑い返してくれた。とても感じがいい。持っていっていた文庫を読むのにも飽きていたので、料理が届くまでボーっと働く彼女の様子を眺めていた。彼女は僕の視線に気がついたよう。でもなんだか悪く思ってはいないようで、注文した料理を彼女が運んできてくれたときになんとなく話しかけてみると嫌がられない。彼女が食べ終わった料理の食器を下げにきたときに、なんとなく電話番号をたずねてみたら、アッサリと教えてくれた。
なんだ、やればできるじゃないか!