Sympathy for the Devil

僕のパソコンの「お気に入り」の中には、猟奇/連続殺人犯に関するサイトがいくつか登録されている。
人に知られたくない秘密の一つだ。
それらを、ときどき見てみるのだが、恐ろしい思いを味わって見たことを後悔するのが常だ。

我が家にネット環境が整った98年当時、何が恐かったというと、彼ら殺人犯が犯した犯罪そのものよりも、彼ら殺人犯と自分にそれほどの違いが認められなかったことだ。
当時の僕はとても孤独で、世の中を憎悪していた。生きていることに罪悪感を感じて自殺を考えていたし、なんの屈託なく笑いながら道を行き交う同年代の人々に殺意を燃やしていた。
そんなだったから、モニターの中につづられるモンスターのように、いつか自分も何かやらかすのではないかと怯えたのだった。

今から思うと、それはアイデンティティがあやふやなせいで暗示にかかりやすくなっていただけのことなのだが、当時は思春期の混乱の真っ只中にあってそんな風に自分を省みる余裕も知恵もない。
自分があのようなモンスターとは違うのだ、ということを悟ったのはある男との出会いがキッカケである。その男とは大阪のアンダーグラウンドなイベントで知り合ったのだが、恐ろしく卑屈で虚言癖を持ち主で、常にイライラと何かに腹を立てていて、女性の死体写真を自慰のネタにする強烈に不快な変態野郎だった。
彼を見て、自分の恐れが単なる「ぶれ」に過ぎないのを知った。
本当に心底気持ちの悪い男ではあったけれど、彼の存在で自己理解が深まったのは確かだ。あとは彼とその他の多くの善良な一般市民のために彼が犯罪を犯さないことを願うばかり。

今、猟奇/連続殺人のサイトを見て感じるのは普通の恐怖である。自分を疑ったりはもうしない。
その内「お気に入り」からも消えるだろう。